VOICE

April, 20, 2018

AIR JAM 2018 開催決定!!! & Ken Yokoyama VS NAMBA69

AIR JAM 2018 開催決定!!! & Ken Yokoyama VS NAMBA69

【AIR JAM 2018 開催決定!!!】

遂に発表になりました AIR JAM 2018 開催決定マジで嬉しいです!!!

AIR JAMってイベントはそもそもハイスタンダードがやりたい時にやりたい様にやる“フェス”なんて呼び方もない時からやってるフェスなんだけど。1997年初めてお台場で行われたAIR JAM ‘97の開催の理由として、

①今ハイスタのライブに来たい人みんなが来れるキャパの場所でやる。

②せっかく大きな会場でやるなら、今一番一緒にやりたいバンドやアーティスト達とワイワイやる。

③仲間のスケーターやサーファー、スノーボーダーやBMXライダー達も来やすい環境でやる。

アメリカのワープドツアーに出演した時に「こんなことを日本でやれたらいいなー」ってメンバーで思えたのも大きなきっかけだったんだよね。海外に飛び出したことで得た経験を日本の仲間達と共有したかった。ハイスタを入れて全9バンドで行われ、真夏の太陽にメチャクチャ熱くなったアスファルト、入場時の長蛇の列、初めての1万人を越すイベントで大変だったけど、その日に生まれたエネルギーの大きさは計り知れないものだったんだなって今になって感じます。

’97を終えた時点では、AIR JAMは続けるとは決まっていなかった。ハイスタがやりたいと思う時にやる。でも’97のキャパでも一杯になってしまったのを受けて、’98ではもっと制限のない空間で自由を感じたい、場所さえあればやりたいって思う様になった。それで運良く見つけられたのが豊洲のベイサイドスクエア。レインボーブリッジから見える、今は築地市場の移転問題になっているあの場所ですね。ここは地面が土だったし、周りには海しかない正に大都会の陸の孤島みたいな場所で、元気なPUNX達が思いっきり遊ぶには最高な場所だった。この時から初めてステージを2つ設けて、全16バンドで開催した。もちろん運営的には反省点はあったけど、自分の中では理想に近い形で大成功だった。ハイスタも純粋に楽しくLIVEが出来たのも嬉しかった。可能であれば、毎年この場所でAIR JAMをやりたいって思った。

でもそのオレ達の“夢の土地”は、そのあと企業に買われ一切使用出来なくなってしまった。場所をいくら探しても見つからない。正直途方に暮れた。AIR JAMもここまでかって思った。次への話がまとまらないまま、ハイスタへ99年のフジロックのグリーンステージへのオファーがあった。当時日本のアーティストがグリーンステージに上がるのは本当にハードルが高かったっていうか、皆無に近かった。そのオファーをハイスタは受け闘いに挑んだ。場所が見つからなかったっていうのもあったけど、99年のAIR JAMをハイスタは開催することを選ばなかった。

その理由は、これはオレの勝手な見解なんだけど。

97年と98年のたった2回の開催にも関わらず、世の中の反響があまりにも大きくなりすぎて、自分達を取り巻く環境に対して、コントロールを失いバランスを取りづらくなってきてたんだ、と。シーンと言われるものを作っている意識はもちろんあったし、自分達がその中心にいるというプライドや責任もちゃんと持っていたつもりではあった。でも凄まじい速度でそのうねりが巨大化していくのを感じて、喜びを通り越して焦りが生まれてたんだと思う。周りのバンド達や仲間達や先輩達に対しても、自分達が中心的存在になっている様な状況に、申し訳なさもオレにはあった。矛盾しまくってるんだけどね。ハイスタはアンダーグラウンドな、PUNK/HARDCOREシーンに憧れ、そしてそこで育てられ、自分達なりに認められようと闘ってきた。そこへのリスペクトを持たなくなった時はないと自分では信じている。でも、そこから生まれたハイスタがこんなにもオーバーグラウンドな動きを、流れを作ってしまっていいのだろうか?もしかして大切な場所を壊してしまっているのではないか?いつもそんな矛盾からくる疑問や葛藤を持つ様になってしまった。だってあまりにも初めてのことばかりで、前例がなくて、 音楽業界もそうだけど、大きなイベントをやるシステムが今みたいに整っているわけでもなく、誰かにアドバイスを受けることも出来ず、常にハイスタは孤独だった。今思うと一度整理する時間が必要になったんだと思う。

ここからハイスタが進むべき道はどれなんだろう? オレの頭はずっとそればかりだった。ハイスタの状態に関わらず周りはどんどん巨大化していく。本当にしたいことは何なんだろう?

話は少し前後するけど、99年1月にハイスタはPIZZA OF DEATH RECORDS設立という更に新しい取り組みを始める。自分達だけの城を、家を作りたかったんだと思う。世の中に放たれ過ぎたハイスタを自分達の中に取り戻したかったんだと思う。これにはみんなが知っている様に、ケンくんが社長になり運営の中心的存在になってくれ牽引してくれた。

普通にLIVEをして、普通にヤバい作品を作りたい。そしたらまた何かが見えるかもしれない。そこからハイスタは「MAKING THE ROAD」を産み出すことに集中する。自分達だけのアルバム制作やリリースは本当に大変なものだったけど、大満足のいくものが出来て、ハイスタは怒涛のツアースケジュールへ飛び込むことになる。ツアーの途中に出演した、フジロックのグリーンステージからの景色は、そんな色んな思いを吹っ飛ばすにはとてもいい機会だったはずだった。そのライブは今でも語り継がれているのは解るけど、でも実はその時期のバンドの状態は決していいものではなかった。

ハイスタを自分達のものに取り戻したくてDIYで取り組んだ、レーベル運営、リリース、ツアー、どれもが一見大成功を収めている様に見えていたと思う。誰もやってないことを実現させたんだから、実際そうだったと思うし。でもその全てがバンドを疲弊させ、もう取り返しのつかないところまで来ていた。

そんな中、開催が決定してしまっていたのが、その次の2000年に行われた AIR JAM 2000。当時の千葉マリンスタジアム。場所が見つかった時オレには少し光が差し込んだ。そこでみんなの力を借りれば、ハイスタはまた元気になるかもしれない。もしそうならなくとも、ここまでのハイスタの人生をみんなの前で一度ケリをつけたい。オレはこの開催に自分のパワーの全てを注ぎ込んだ。

きっとこの日、日本で初めてスタジアムで“フェス”が行われたんだと思う。
その日のAIR JAMは危ないくらいにみんなの思いがグルグル渦巻いていた。当日は運営の至らないところも沢山あったと思うが、それを超えたキッズ達の計り知れないエネルギーがそこにはあって、混乱を招き、会場や関係者の皆様には多大なる迷惑をかけたのは間違いない。ムーブメントって言っていいんだと思うんだけど、AIR JAMというムーブメントは枠には収まるわけがなかった。伝説って言葉は時には嫌いだけど、まさに伝説の日だった。最強のLIVEやパフォーマンスで付き合ってくれた仲間達とオーディエンス、そのみんなの前で、最後かもしれないというギリギリのLIVEをしたHi-STANDARD。もちろん一生忘れることはないし、今でも鮮明に覚えている。

「これが日本のPUNKシーンから飛び出して来た意味不明なバンド、ハイスタンダードって言います。メチャメチャやって来ました。ここから先のことは何も決まってないです!」って感じだった。最後の花火は綺麗だったな。
あのLIVEの最初に投げた、ピンクのソフトボール。あれを投げる同じ光景の夢を、実は高校生の時に見ていたんだよね。だから夢をちゃんと叶えたんだね。ただその夢の後を見ていなかった。だからその後活動休止だったんだと思う。新しい夢を見つけに各々はそれぞれの道へ旅立つことになってしまった。

オレは活動休止とは2〜3年くらいのことだと思っていた。時が経ち、また時が経ち、ハイスタとしての夢は一向に見つからない。3人の道の距離はどんどん離れていくばかり。もう10年経ってしまうのかー。キッズはオレのことを裏切り者だと思っているかもしれない。もうハイスタのことを待ってもいないかもしれない。それでもいい、オレはそれでも待ってくれている人に向けて一つの機会を作りたかった。そしてオレは2011年にある会場を押さえる。それが横浜スタジアム。もしハイスタが再活動を選ばなくても、もしその日がハイスタの解散LIVEになっても、一つ機会を作りたかった。自分へのケジメとして。でもその意思は届かなかった。でもそうなっても良かったんだ。何年も話すことすらなくなってしまったケンくんと話すことが出来たから。オレは横浜スタジアムでの、何かしらの機会を諦めかけていた。

そのケンくんとのミーティングから約2週間後の、2011年3月11日。東日本大震災が起こる。もちろん横浜で企画の話なんてなくなった。オレは一度完全に諦めた。

それからの数日は記憶が無いくらいバタバタともがいていた。そんな時突然、BRAHMANのトシロウから電話がきた。「今こそハイスタやってくれよ。」オレにももし震災で辛い目にあっているロックが好きな、せめてハイスタのファンだけでもいい、何か光になれることがあるのなら。オレは再度ケンくんに連絡して会う約束をした。ケンくんは2つ返事でハイスタを動かすことを選択してくれた。そしてそのミーティングの後すぐそこで自撮りした二人の写真が、あの「GO JAPAN!!!」の写真です。

そしてAIR JAM 2011の開催アナウンスが世の中を貫いた。横浜スタジアムをキャンセルせずにいたから、奇しくも決定から半年という最短のスケジュールで開催することが出来た。メンバーの中で2012年に東北にAIR JAMを持っていくという約束付きで横浜は開催された。2012年までのことは一緒にやる。だからハイスタは復活ではなかったと思うけど、オレはなんでも良かった。理由はハッキリした。2011年をみんなに力を借りて成功させ、2012年東北にAIR JAMを持っていく。せめてロックが好きな、音楽が大好きなみんなに笑顔になってもらいたい。ハイスタをやる理由はそれだけで十分だった。AIR JAM 2011は余裕なんてなかった。ハイスタへのブランクをどう埋めるのか?そもそも歌えるのか?でもその日のLIVEで終わってもいいとさえ思って、人生の全てをさらけ出した。ケンくんが後ほど語っているけど、気持ちの整理なんてつくはずのない凄く難しいステージだったと思う。でもハイスタは11年の時を超えて横浜スタジアムのそこに立った。そして1997~2000年までのAIR JAMとは全く違う意味を持ったAIR JAM 2011が2012年の宮城県国営みちのく杜の湖畔公園に繋がることになる。AIR JAM 2012の開催。その2日間は本当に素晴らしいものだったと思うし、2011と2012に力を貸して出演してくれたバンドやアーティスト達、関係者の方々には今でも心から感謝しています。そこから何かが生まれ、色んないいものが繋がっていってると信じています。その後AIR JAMこそ開催されることはなかったけど、普段から3人でコミュニケーションをとっては時間をかけてハイスタの本当の意味での復活に向かっていったんだと思う。

 

時代が流れてハイスタの仲間って誰なの??

2011年も2012年も対バンを決めるのは悩んだ。だってハイスタは10年以上も活動していなかったんだもの。今のハイスタの仲間って誰なんだろ? それは2016年に福岡ヤフオクドームで開催されたAIR JAM 2016もそうだった。2000年までガンガン一緒にやっていたバンド達を集めるのか?もしくはその時には出会ってもいなかったハイスタにとって新しいバンド達と対バンするのか?AIR JAMを始めた原点の理由に戻った。そして、それはケンくんと意思は一緒だった。ツネちゃんも賛同してくれた。ハイスタが今一番一緒にやりたいバンドやミュージシャン達とやる。もちろん2000年までによくやっていたバンド達も今も交流はあるし、めちゃカッコいいし、リスペクトしてます。だからAIR JAM 2016はハイスタにとってチャレンジだった。色んな声を聞いたし、感じたし、時を超えて新しくハイスタが存在することは、中々難しいことでもあると思った。時代を埋めようとしすぎてはいけないのだなと。でも、そのチャレンジに意義を感じて、むしろそれを楽しんでいけばいいんだなって思う様になった。AIR JAM 2016は、こんなにフェスが乱立している新しい時代にとっても、もしくはロックシーンにとってとても意味のあることをしたのではないかと確信しています。その後そう思える場面を沢山見てきたから。やっぱ日本ロックシーン面白くなって欲しいもの。もしかしたらこれからのハイスタはそんな役割さえあるのかなって思ったりもします。

そして!今回遂にAIR JAM 2018の発表。会場はあの千葉のZOZOマリンスタジアム。対バンが発表された時に、喜びの声と同時に、まだハイスタの意思が届いていないのかもな?って声を目にしました。もしかしてそれは仕方のないことだと思うけど、今現在新しく生まれ変わったであろうハイスタが、最高に敬意を持って各アーティスト達を誘い、どう考えても最強なラインナップになったと確信しています。AIR JAMを昔を懐かしむイベントにする必要はない。そしてAIR JAMは他のフェスとは違うから。もしメンツが被ることがあっても、ここまでの成り立ちや流れが全然違う。ハイスタがそうしている様にみんなも新しい発見を一緒にしてくれたら嬉しいなって。昔も今も関係なく、こんなクソみたいな世の中を音楽を持ってもっと楽しくいい感じにしたいから、AIR JAM 2018はある意味原点を忘れず、また一歩先へと進みたいと思います。もしかして会場がZOZOマリンスタジアムだから、色んな思い入れもあるのかな?とも思います。そのこともよく解ります。でもね、ハイスタは今を生きてる。この日本に必要なのは、ALL GENERATIONS なんだと思うんだ。海外なんてガンガン クロスオーバーしまくってるんだから、日本も見習わなくちゃって思う。当然ハイスタはオッサンです。でも若い頃は良かっただの、若いのはなー、なんてクダ巻いてるオッサンにはなりたくもない。そして他のフェスでは味わえない日、空間に絶対にすること約束しますよ。全てのアーティストのメッセージを、LIVEをじっくり体感してもらえる様に、タイムテーブルも一切被らせず、真ん中にドンと移動式センターステージで、全10アーティスト対等にガチガチでやってもらえる様にセッティングしたから、どの位置にいても1日中楽しんでもらえると思います。

誰に何と言われようが、このラインナップは凄い新鮮。出演してくれる全てのアーティストに最大級のリスペクトを。ハイスタも、うかうかしてらんないから。またチャレンジです。いつでもSTART TODAYさ。そんなAIR JAM 2018をZOZOマリンスタジアムで開催できるなんて、凄く感慨深いし当日自分がどうなっちゃうのか楽しみで仕方ない、ケンくんもインスタで言ってたけど、今をカマスのみです!!!

そしてお願いです。ZOZOマリンスタジアムをお借りすることができたのは沢山の関係者の皆様のおかげなのです。ですから、その方々の思いや期待を裏切らないで欲しいんです。運営陣営も全力で取り組みますが、これには来場してくれるみんなの協力がなくては絶対に成功は生まれません。ゴミは当然ゴミ箱へ入れてください。そして一緒に会場を借りてるつもりで全ての施設を大切に使ってくださいね。まだいくつかお願いしたいことはあるけど、みんなオレ達がお願いしたいことを解ってくれてることを信じます。

みんなで本気でヤバい日にしよう!!!!!!!!!!
AIR JAM 2018 9月9日
@ZOZOマリンスタジアム
現在進行形のAIR JAMを是非楽しんでください
よろしくお願い致します!!!!!!!!!!

AIR JAM 2018 オフィシャルHP
チケット発売開始です↓
http://airjam.jp/

 

今年もオフィシャルロゴがかっこいい。ブランド “BONES AND BOLTS” のデザイナー大塚哲生さんが、GRIMBさんと共同で手掛けてくれました。毎年ロゴが変わるのがAIR JAMの特徴なんだけど。あのロゴを見ると、あの年のあの場所のあの感じ思い出すねってなったらいいなと。毎回そのロゴに思い入れが生まれてくれたらいいなーと思ってます。

 

 

【Ken Yokoyama VS NAMBA69】

まさかこんな時が来るなんて一度も考えたことがなった。

実は、昨年のハイスタのツアーの前に、ケンくんから突然電話がかかってきた。

「閃いたことがあるんだけど、ナンちゃん、スプリットやらない?」

「えー!? マジ!?」

最初は冗談だと思っただけど、ケンくんはそんな類の冗談は言わない。

オレはすぐ

「マジでいいのー!? そんなチャンスをくれるなんて信じられないよ!!」

ケンくんは

「こうやってハイスタでツアーを回れる様になった今こそ、KENバンドとNAMBA69がしっかりやってるんだってことを来年スプリットって形で証明したいんだよね!そんなに素晴らしいことは無くない!?」

って言ってくれた。オレは興奮して、すぐにメンバーに確認することをケンくんに告げ電話を切った。それからすぐko-heyと三ちゃんに電話した。(K5には繋がらなかったw)彼らの答えはもちろんYES!みんな本当に喜んでた。ケンくんにメンバーが喜んでたことを返し、お互い3曲づつ出し合うこと、そのうち一曲をカヴァー曲にすること。PIZZA OF DEATHからリリースすること。お互いのレコーディングにかかる費用は自分で持つこと。タイトルは「Ken Yokoyama VS NAMBA69」であること。先行はKENバンドであること、大規模なツアーをガッチリやること等、簡単な約束事をケンくんと確認して、スプリットの話は決定した。

オレは興奮した。本当に興奮した。1番嬉しいことは、もちろんケンくん率いるKENバンドとガチでスプリットやツアーが出来ること。そして2番目に嬉しいことは、ピザキッズ達ともしかしたら距離が縮まるのではないかってこと。ぶっちゃけ2000年のハイスタ活動以降、PIZZA OF DEATHのマークを見るのも辛くなってしまい、街にいるピザのTシャツを着ている子を見かけると、コソコソ隠れてしまう程、ピザオブデスKIDSから嫌われていると妄想が過ぎてしまう日々が続いた。もちろんもっと前の2011年あたりから、ピザへの思いも180度変わっていたし、去年ハイスタのTHE GIFTツアーのファイナルでは、ピザTを着てライブもした。そんなピザからNAMBA69リリースされるんだから、そして、そのピザのボスであるKENバンドとスプリットを作ることが出来るんだから。もしまだオレのことを嫌いなピザキッズがいるとしたら、その思いも少しは変えることが出来るチャンスなんじゃないかと。もしそうなるとするならば、それが本当に嬉しいことだった。

その次に嬉しいことは、やっぱり沢山の人にNAMBA69の楽曲が届くってこと。今までの比じゃないくらいその反響は大きいものだと想像している。

そのチャンスを与えてくれたケンくんには本当に感謝している。期待に応えるには、リアルにヤバい作品を作るしかなかった。自分で言うのはなんだけど、それは十分に応えることが出来たと思う。メチャメチャみんなで気合い入れて作った。ケンくんもかなり喜んでくれた。そして KENバンドも本気でヤバいことになってる。客観的に聴いてもこのスプリットは問題作であり、大名盤であることは間違いない!!!何回聴いてもヤバすぎる。これからジャケやMVを作るんだけど、どんな仕上がりになるのか楽しみで仕方ない。

NAMBA69はハイスタとは違う。NAMBA69はハイスタ以降のオレの音楽の歴史の集大成だと思っている。これまで色んな形態で音楽を表現してきたけど、どれも自分の人生と繋がっていて今に至る大切な過程だと。ギターのko-heyが来てから、今のNAMBA69は自分にとって理想的な形が完成した気がしている。あとはそれを楽しみながら熟成させていくのみ。よくKENバンドとNAMBA69が一緒のイベントとかになると、「だったらハイスタやればいいじゃん」的な声を目にする。それは違うんだよね。きっと、お互いハイスタのメンバーがやってるバンドって見られ方をするのは、一生変わらないだろうし、背負い続けなければならないんだと思う。でも2バンドにはそれぞれメンバーがいて、家族として色んな世界を作っているんだから。その思い入れは、ハイスタと比べることなんて出来ないんだよね。実は全く違う2つの道を歩んできたバンドが、こういった形でスプリットを完成させるのはマジで凄いことなんだよなー。オレはこんな前例を聞いたことがない。大げさに聞こえるかもしれないけど、本当に人生って素晴らしい。そして面白い。音楽を続けてやってきて良かったってこの時ほど思ったことはないかもしれない。そのオレ達の音をぜひ聴いて下さい!!!そしてツアーにきてね!!!

■Ken Yokoyama / NAMBA69 スプリットCD『Ken Yokoyama VS NAMBA69』
2018年06月06日発売
PZCA-83 1,800yen(税抜)
▼TRACK LIST
1. Support Your Local (Ken Yokoyama)
2. Malibu Beach Nightmare (Ken Yokoyama)
3. Come On,Let’s Do The Pogo (Ken Yokoyama)
4. FOR LIFE (NAMBA69)
5. PROMISES (NAMBA69)
6. SONG 2 (NAMBA69)

■全国ツアー<Ken Yokoyama VS NAMBA69 Tour>
6月22日(金) 仙台 Rensa
6月24日(日) 新潟 LOTS
7月04日(水) 東京 Zepp DiverCity
7月05日(木) 東京 Zepp DiverCity
7月10日(火) 福岡 DRUM LOGOS
7月12日(木) 大阪 なんばHatch
7月13日(金) 名古屋 DIAMOND HALL
OPEN18:00 / START19:00 ※各公演共通
※全公演2マン
▼チケット
前売り:¥3,800- 餓鬼割先行:¥1,000-
一般発売:4/28(土)〜

P.S.
NAMBA69とJMSが共同で作ったレーベル”POP SPEED RECORDS”のロゴがこの度新しくなりました。cornea designのデザイナー尾沢早飛さんに手がけてもらいました。他のバンドもいつかリリースしてみたい。POP SPEED RECORDSよろしくお願いします!!!